2015年09月
FP2級を受けました。
JISTA オープンフォーラム2015
玄奘 三蔵法師展
9/6。今日は京都に、龍谷ミュージアムで催されている玄奘(三蔵法師)展を見に行った。
西遊記に出てくる三蔵法師は実在の人物で、玄奘という。玄奘は、経典を得るため長安を出発しはるばる天竺(インド)へと一人旅をした。あしかけ16年を費やし、天竺をめぐり数々の経典を中国に持ち帰った。それを今度は、人生をかけて翻訳にいそしむ。あの般若心経(般若波羅蜜多心経)も玄奘の翻訳したものということで、なにかと仏教に縁のある人なのである。
彼が長安を出てすぐ、砂漠で迷子になったときに命を救ったのが、深沙大将でこれは西遊記では沙悟浄として表現された。
玄奘は長安から天竺を目指すとき、「不東」といって「天竺に着くまでは決して(天竺より)東方にある長安には戻るまい」と決心した。その執念が壮大な旅と仏教の発展に寄与したが、彼は終盤、「不可得」といって「何も得ることができない」と悟った。すべてのことは変化し「空」である。だからあらゆるものは永遠に得ることはできないという。奥の深い悟りである。
西遊記に出てくる三蔵法師は実在の人物で、玄奘という。玄奘は、経典を得るため長安を出発しはるばる天竺(インド)へと一人旅をした。あしかけ16年を費やし、天竺をめぐり数々の経典を中国に持ち帰った。それを今度は、人生をかけて翻訳にいそしむ。あの般若心経(般若波羅蜜多心経)も玄奘の翻訳したものということで、なにかと仏教に縁のある人なのである。
彼が長安を出てすぐ、砂漠で迷子になったときに命を救ったのが、深沙大将でこれは西遊記では沙悟浄として表現された。
玄奘は長安から天竺を目指すとき、「不東」といって「天竺に着くまでは決して(天竺より)東方にある長安には戻るまい」と決心した。その執念が壮大な旅と仏教の発展に寄与したが、彼は終盤、「不可得」といって「何も得ることができない」と悟った。すべてのことは変化し「空」である。だからあらゆるものは永遠に得ることはできないという。奥の深い悟りである。
直島(2回目)
9月5日。青春18きっぷの最後の回数を使い、直島へ。
朝6時54分、三ノ宮発。姫路、岡山、茶屋町と乗り換えて宇野へ。宇野港からのフェリー。11時半まえに直島は宮浦地区に上陸した。
宮浦で島内バスが来るまでの間に少し観光をして、地中美術館へ。ここへ来るのは二度目。何も変わっていない。ただ少しだけ建物は古くなったような気がする。一通り、といっても展示は少ないが、見終わってから昼食を取りにベネッセミュージアムへ。こちらは初めて。
島内には二カ所に南瓜がある。一つは宮浦港。もう一つはベネッセアートサイト。両方を見て、バスで宮浦港へ。
短い滞在時間だったが、16時40分発の帰りのフェリーに乗り込む。新造船の「なおしま」。約20分。あっという間に宇野港へもどった。あとは、電車を乗り継いで三ノ宮へ。
来年は瀬戸内国際芸術祭。次は犬島と豊島に行きたいと思う。
朝6時54分、三ノ宮発。姫路、岡山、茶屋町と乗り換えて宇野へ。宇野港からのフェリー。11時半まえに直島は宮浦地区に上陸した。
宮浦で島内バスが来るまでの間に少し観光をして、地中美術館へ。ここへ来るのは二度目。何も変わっていない。ただ少しだけ建物は古くなったような気がする。一通り、といっても展示は少ないが、見終わってから昼食を取りにベネッセミュージアムへ。こちらは初めて。
島内には二カ所に南瓜がある。一つは宮浦港。もう一つはベネッセアートサイト。両方を見て、バスで宮浦港へ。
短い滞在時間だったが、16時40分発の帰りのフェリーに乗り込む。新造船の「なおしま」。約20分。あっという間に宇野港へもどった。あとは、電車を乗り継いで三ノ宮へ。
来年は瀬戸内国際芸術祭。次は犬島と豊島に行きたいと思う。