〜国道1号線踏破(4) 浜松・静岡編〜
(2009年09月19日〜2009年09月22日)

あくまで、国道一号線踏破の旅である。前回までで愛知県豊橋市まで到着。今回は9月の大型連休を利用して、静岡市までの約120キロを歩いた。いろいろあった行程なのだが、東京まであと半分を切ってきた。


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今回の旅マップ

1.豊橋から浜松

前回同様に午前4時頃起床し、三ノ宮駅から普通電車5:22発で豊橋に向かう。今回は米原から大垣までは特急(しらさぎ2号)を利用。というのも、米原での普通電車の接続が悪く30分ほど待たされるので、すぐに連絡している特急で大垣まで向かうほうが早い。大垣から豊橋まで特別快速に乗る。豊橋駅の到着が9:36。市電に乗り継いで前回のゴール地点である、西八町交差点の296.5キロポストへ。

午前10時、スタート。浜松まで40キロの標識がある。愛知県と静岡県の県境までは単調に国道が続く。特段迷いそうなところもなく、軽快だ。

国道1号線は静岡県をほぼ東西に横断しているが、もともと通過車両が多く、市街地を通っていることから渋滞する道路として有名だった。そのため、バイパス工事がどんどん進んでいて、現在はほぼ全域がバイパスとなっている。ちょうど県境となる豊橋市と湖西市の境から、潮見バイパスが始まる。このバイパス区間は自動車専用道路となっており、歩行者や自転車は通行できない。なので、直前の県道(旧国道)に迂回するよう標識が建っていた。が、ここで県道に下っては意味がないので、とりあえず行けるところまで行ってみると、ちょうど歩行者でも通行できる側道の部分が存在していた。側道は一般車が入れないようにポールが立っているが、歩いていると国道を示すオニギリマークとキロポストが。潮見トンネル部分はちょうど山越えする形で通っていく。自動車専用であれば原付や歩行者が通れないし、道路整備なども不都合があるから、こういった側道があるのかもしれない。というわけで、今回は国道そのものではなく、側道を歩くことがメインになりそうだと思いつつ、国道の新たな一面を垣間見た気がした。

側道で潮見トンネルを越えると、遠州灘が見えてくる。ちょうど台風が小笠原諸島のあたりを進んでいるので、波は高い。潮見坂の道の駅に立ち寄って、昼食を取った。

潮見バイパスの白須賀ICを越えると、バイパスは高架となる。その下に側道が走っている。大倉戸ICから浜名バイパスに切り替わり、ここから1号線は現道とバイパスに分かれていき、現道は新居町(あらいまち)の市街へと進む。新居町は東海道で新居関所があったところ。昔は通行手形がなければ浜名湖を渡ることができなかった。家康は江戸の護衛と諸大名の統括を目的として、鉄砲と女の往来には特に厳しかった(「入り鉄砲に出女」と言われ、江戸に向かう鉄砲や江戸から下る女、つまり江戸で人質としている大名の妻を監視した)。新居町の関所跡は史跡として整備していて、旅籠と合わせて関所に関する展示もしている。東海道53次の絵には荒井とも記述されているが、どう使い分けられているのかは定かではなかった。

新居から浜名湖を渡る橋で弁天島を過ぎると舞阪。ここも宿場町だったのだが、あまり観光資源にはしていないよう。しばらくして日が暮れてくる。浜名バイパスを終えるあたりで266キロポストの次が265.9+1600という表示に。どうやらバイパス化で本来の距離が1600メートルも変わってしまったらしい。(バイパスは遠回りしているので伸びた)その後も+1500、+1400と265.9キロポストが17枚続いた(±0を含む)。

当初の予定では浜松駅の東、石原という交差点のあたりまで40キロの予定だったが、ここへきてバイパスで側道を探したり、史跡を訪れたりした都合で行程に遅れが出てきた。そのため、1日目は浜名バイパスとの合流地点から少し先のJR高塚駅の南側にある265.8キロポストまでとすることにした。

高塚駅から浜松駅までJRを使い、駅前の観光案内所で宿を探す。シルバーウィークということもあり、駅近のビジネスホテルはほぼ満室。徒歩8分ほどのところにあるホテルデイバイデイに泊まることができた。

潮見トンネル側道
潮見トンネル側道・でトンネルを越えれば遠州灘が見えてきます

遠州灘
遠州灘・台風のため波が荒い

道の駅「潮見坂」
道の駅「潮見坂」・豊橋から車で直ぐなのでドライブ客が多い

新居宿「紀伊国屋」
新居宿「紀伊国屋」・旅籠です。資料は多い方

新居宿「新居関所」
新居宿「新居関所」・女手形に関する資料が多い

浜名湖を渡る新幹線
浜名湖を渡る新幹線

2.浜松から掛川

2日目は再び高塚の南の交差点からスタート。ここは浜松バイパスと呼ばれる区間。旧道は浜松市街へ入っていく国道257号線と国道152号線のようだ。浜松バイパスは自動車専用ではないので路肩を歩いて行く。歩道がきちんと整備されていない部分が大半なので、トラックに注意しながら、浜松市の外縁を進んでいく。国道152号と合流した北島の交差点から東に折れる。自転車はダメというペイントがしてあったが、特に看板も見あたらなかったので歩いていると、どうやら磐田バイパスへ通じる入り口になってきているようで車がビュンビュン通ってくる。新天竜川橋の直前の合流地点で白バイに見つかって「ここは危ないから歩いちゃダメでしょ」と怒られてしまった。もう少しで次のキロポストがあるはずなのに、とがっかりして道を降りる。が、下り車線側に迂回するとちゃんと歩道があった。そっちを歩けという意味だったようだ。このあたりが江戸と京を結ぶ東海道のちょうど中間地点にあたる。そのため、中町という地名となったそうな。新天竜川橋のど真ん中に250キロを示すキロポストを発見。いよいよ東京まで半分を切った(京都から、で言うと…)。

橋を渡ると磐田バイパスが始まる。ここで1号線は市街を通る現道とに分かれる。現道の方を進んで磐田市街を通り抜けると、再びバイパスと合流。そこから袋井バイパスへ。袋井バイパスは高架で、その下を側道が走っている。袋井バイパスの終点で再び241.9+400という表現。ここも400メートルほど伸びたようだ。ここまでくるともはや東京・大阪間のキロポストの正確な距離は不明である。果たして東京まで本当に241キロなんだろうか?

袋井を超えると掛川バイパス。この区間はまた現道に分かれて市街へ向かう。ちょうど日も暮れてきたので、今日は掛川までとした。この区間は特に観光スポットも近くにないので、今日は約40キロを踏破できた。終点は掛川駅北側の北門交差点で228.9キロポスト。

掛川駅へ行くと、既に観光案内所は閉まっていた。ということで公衆電話のタウンページで宿を探したが駅前に空きは見つからず、2駅戻った袋井でタウンホテル松乃というビジネスホテルに宿泊。

掛川城
掛川城

3.掛川から藤枝

3日目は掛川からスタート。掛川駅前には掛川城が復元されていて、せっかくなので登城。天守閣から見る景色は眼下に新幹線が走っていて、なんだか福山に似ている気がした。城下町が新幹線駅になっているところはだいたいこんなもんか。

掛川の北門交差点から東に歩く。再びバイパスと合流したところから、日坂バイパス(にっさか)が始まる。ところが、このバイパス区間がくせ者だった。八坂ICからすぐのところに道の駅「掛川」がある。ここまではなんとなく側道らしきものを歩いてみた。道の駅で一休みしてから出発すると、ことのままトンネルの手前で側道が消滅。しかも側道にはキロポストがないので現在地が不明。トンネル直前のキロポストは撮影したが、そこから先はどうやら無理になりそう。旧道は県道415号線になっている。県道を進んでいくと東海道日坂宿がある。旅籠が綺麗に修復されて公開していた。入場料無料。パンフレットも置いていて、ボランティアの人が案内もしてくれた。あまりに丁寧で、観光資源として、料金とってもいいと思った。

日坂宿から旧東海道で山越えをする方向の途中に、側道を発見。そこをてくてく歩いて、次のキロポストも何とか撮影できた。日坂ICを越えたあたりから側道も草がぼうぼうで蜘蛛の巣があったりと恐怖しながら歩いて、小夜の中山トンネルのあたりで道に迷って変な山道へ。さらにどうやら日坂ICからは現道の1号線があったようで、ICまで戻ってキロポスト標識を撮影。合計で1時間半ほどロスしてしまい、もはや執念の撮影になってしまった。小夜の中山トンネル(さよのなかやま)を越えると、夜泣石という伝説にまつわる石がある。その先からはいよいよ側道も現道もない島田金谷バイパスへ。残念ながらキロポスト撮影の旅路もここで打ち砕かれてしまった。国道1号線を歩いて東京へ渡ることは出来ない。意外にもあっさりした結論に愕然としつつ、県道で島田市街へ。また道を誤ったこともあって1時間以上ロスをして島田駅前の国道1号の合流ポイントへ。まだ少しがんばれそうだったので、勢いで藤枝まで歩いた。藤枝駅前の青木交差点(202キロポスト)を終点とした。キロポスト上では27キロほどだが、迷った分を含めると40キロ弱は歩いたような気がする。駅前の東横インに泊まった。

道の駅「掛川」
道の駅「掛川」・ここから側道がなくなった

道なき道
道なき道・実は側道の反対側。側道といっても舗装はされてます。頭上が日坂BP

日坂宿
日坂宿

小夜の中山トンネル
小夜の中山トンネル・右がバイパス。左が現道。

夜泣石
夜泣石・道に迷うわでこちらが泣きたい!

4.藤枝から静岡

4日目。藤枝から藤枝バイパスとの合流点まで市街を歩く。キロポストを撮影しているが、昨日に打ち砕かれた単調作業で歩いて行く。岡部バイパスはまた自動車専用であり、旧道を歩いて岡部市街へ。この間のキロポストを撮ることは諦めたが、静岡の国道があまりに自動車寄りの整備しか出来ていないのが腹立たしいというかアホらしいというか、ずっとそんなことを考えていた。キロポストも工事中で無かったり、破壊されているところもあった。

江戸時代じゃないんだから、東京まで歩いて行くことを考える人はほとんどいないだろうし、そんな人たちのことまで考えて道路づくりをやってられないというのが本音なのかもしれない。が、やっぱり国道は国の道。国民の道。県民のための県道とは重みが違っているはず。たぶん、静岡県民は国道1号線に対して良い印象をあまり持っていないのだろう。考えてみれば、都道府県によって国道1号線のとらえ方は違って見える。大阪は京都と繋ぐ産業道だし、京都府内も大阪や滋賀(大津)へ繋がる重要な道を感じた。滋賀県は東海道と中山道を分ける重要な地点であるだけでなく、やはり大きな道といえば1号線と中山道へ伸びる国道8号線であり、生活道でもあるし、京や三重を繋ぐ道でもある。三重県も鈴鹿峠から四日市を経て名古屋へ繋ぐ重要な道だ。愛知も産業的にも生活的にも国道1号線の意味は大きい。ところが、静岡に入ったとたんに1号線の扱いは通り道(通過点)になる。市街地を通せば渋滞になるし、古来そうだったのだろう。ほとんどが市街から少し離れた高速道路的な役割の「バイパス」になっている。生活道路でもない。国道は政令で経由地を定めており、そこに該当する部分だけは現道を残しているが、やはり県外の人はバイパスを通って市街地には入ってきて欲しくないのだろう。市街地でカネを落としてくれるならまだしも、排ガスだけしか残さないのであれば確かに来て欲しくない。高速道路も今や東名と第二東名の2本立て。これも首都圏から中部・近畿へ流れる車がいかに多いかを示している。江戸時代ならば白須賀から三島までの22もの宿場町を擁した静岡は大いに栄えたのだろう。しかし明治以降の近代化の波の中で移動手段はどんどん高速化し、出発地から目的地までは同一日で十分たどり着けるようになった。静岡に立ち寄る意義も薄れてしまった。首都圏からはJR東海道本線で熱海行きが多くあるが、名古屋からは豊橋止まりがほとんど。新幹線は6駅もあるのに「のぞみ」号は一切停まらない。静岡と聞いて思い浮かべるのは富士山とお茶ぐらい。富士山の半分は山梨だ。だが、もっと魅力はあるんじゃないか? 東海道を歩く人は増えていると思う。人々に余裕が出てきたら、静岡に行ってみようという人も増えてくるはず。そのとき、国道1号線を歩いて渡れないのは大きな失望ではないのか? そんなことを、ずっとずっと考えていた。(ま、あくまで私感だ)。

さて、本題。岡部もまた宿場町で、大旅籠柏屋(かしばや)がある。ふと立ち寄ったら案内の人がやたら話す人で、東海道を歩いているならこの先は明治のトンネルが良いと執拗に言ってくる。あくまで国道1号線だと伝えても、「あんな排ガスの充満したトンネルを…」とまた話す。そういうわけで、少し先で宇津ノ谷峠では明治のトンネルを通ってから大正のトンネルで戻ってきて、さらに平成のトンネルで山越えするという道を選んだ。説明すると、宇津ノ谷峠は東海道でも要衝として知られており、明治時代にはレンガ造りのトンネルが掘られた。その後、旧国道1号線のために大正時代末期に別のトンネルが掘られた(現在の県道208号)。さらに昭和に入ってからもトンネル(昭和のトンネル)が掘られた。昭和のトンネルは現在の国道1号線になっているが、平成に入りバイパス化する際に新たなトンネルが掘られ、それぞれ上下線で使用されている。平成のトンネル側に歩行者用通路がある。

トンネルの前後には道の駅がある。東京側の上り線の駅で昼食を食べた。江戸時代は朝夕の一日2食が一般的な食生活だったようだが、歩いているとあまり食欲も出ないので、麺類が多くなる。ここでは蕎麦を食べた。

峠を越えると丸子(まりこ)。このあたりも宿場町だったようだ。静岡駅へはあと5キロほど。そろそろ疲れてきてもいるが、もう少しだがんばろう、と言い聞かせながら歩いた。静岡駅前は工事中だったが、無事に駅前の181キロポストを発見。今回はここまでとなった。

静岡駅の観光案内所で近場の銭湯などを聞いたが、静岡は銭湯が少ないらしく駅近にはないとのこと。温泉もバスで10分と遠いので、駅前の漫画喫茶でシャワーを浴びた。100円ショップで下着も買い換える。それだけでも十二分にリフレッシュできる。帰りの電車を検索して、予定(終電)よりは早いダイヤで帰ることにした。どうでもいいが、観光案内所の人は観光客を何人案内したかを記録してるらしく、一つ訪ねる度に記録表に記入していて胡散臭そうだった。

帰りもまた在来線だけで。座れるよう乗り継ぎに余裕を持たせて、17:04に静岡を出発。三ノ宮は23:22着。さすがに6時間は退屈だったが、ビール3缶ほど飲んで寝ていた。

明治のトンネル
明治のトンネル・宇津ノ谷峠。立派なレンガ造りです。

大正のトンネル
大正のトンネル・現在の県道。

昭和のトンネル
昭和のトンネル・現在のバイパス上り。

平成のトンネル
平成のトンネル・そしてバイパス下り。

道の駅「宇津ノ谷峠」
道の駅「宇津ノ谷峠」

5.今回のキロポスト

296.5キロ 296キロ 295キロ 294キロ
296.5キロ、296キロ、295キロ、294キロ

293キロ 292キロ 291キロ 290キロ
293キロ、292キロ、291キロ、290キロ

289キロ 288キロ 287キロ 286キロ
289キロ、288キロ、287キロ、286キロ

285キロ 284キロ 283キロ 282キロ
285キロ、284キロ、283キロ、282キロ

281キロ 280キロ 279キロ 278キロ
281キロ、280キロ、279キロ、278キロ

277キロ 276キロ 275キロ 274キロ
277キロ、276キロ、275キロ、274キロ

273キロ 272キロ 271キロ 270キロ
273キロ、272キロ、271キロ、270キロ

269キロ 268キロ 267キロ 266キロ
269キロ、268キロ、267キロ、266キロ

265キロ 264キロ 263キロ 262キロ
265キロ、264キロ、263キロ、262キロ

261キロ 260キロ 259キロ 258キロ
261キロ、260キロ、259キロ、258キロ

257キロ 256キロ 255キロ 254キロ
257キロ、256キロ、255キロ、254キロ

253キロ 252キロ 251キロ 250キロ
253キロ、252キロ、251キロ、250キロ

249キロ 248キロ 247キロ 246キロ
249キロ、248キロ、247キロ、246キロ

245キロ 244キロ 243キロ 242キロ
245キロ、244キロ、243キロ、242キロ

241キロ 240キロ 239キロ 238キロ
241キロ、240キロ、239キロ、238キロ

237キロ 236キロ 235キロ 234キロ
237キロ、236キロ、235キロ、234キロ

233キロ 232キロ 231キロ 230キロ
233キロ、232キロ、231キロ、230キロ

229キロ 228キロ 227キロ 226キロ
229キロ、228キロ、227キロ、226キロ

225キロ 224キロ 223キロ 222キロ
225キロ、224キロ、223キロ、222キロ

221キロ 220キロ 219キロ 218.4キロ
221キロ、220キロ、219キロ、218.4キロ(島田金谷BP入口)

218キロ 217キロ 216キロ 215キロ
218キロ、217キロ、216キロ、215キロ

214キロ 213キロ 212キロ 211キロ
214キロ、213キロ、212キロ、211キロ

210キロ 209キロ 208.9キロ 208キロ
210キロ、209キロ、208.9キロ(島田駅前付近)、208キロ

207キロ 206キロ 205キロ 204キロ
207キロ(存在せず)、206キロ、205キロ、204キロ

203キロ 202キロ 201キロ 200キロ
203キロ(工事区間、存在せず)、202キロ、201キロ、200キロ

199キロ 198キロ 197キロ 196キロ
199キロ、198キロ、197キロ、196キロ

195キロ 194キロ 193キロ 192キロ
195キロ、194キロ、193キロ、192キロ

191キロ 190キロ 189キロ 188キロ
191キロ、190キロ、189キロ、188キロ

187キロ 186キロ 185キロ 184キロ
187キロ、186キロ(破損)、185キロ、184キロ

183キロ 182キロ 181キロ
183キロ、182キロ、181キロ

旅のノート

9/1910:00豊橋市 残り296.5キロからスタート
 18:15浜松市 残り265.8キロ ホテルデイバイデイ泊
9/208:40浜松市 残り265.8キロからスタート
 17:45掛川市 残り228.9キロ タウンホテル松乃泊
9/219:30掛川市 残り228.9キロからスタート
 18:15藤枝市 残り202.0キロ 東横イン藤枝駅北口泊
9/228:50藤枝市 残り202.0キロからスタート
 15:40静岡市 残り181.0キロでゴール
 23:30帰宅